大判例

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大阪高等裁判所 昭和54年(う)1805号 判決

裁判所書記官

増田掌

本店

大阪市東淀川区小松一丁目一五番一八号

商号

東洋製鉄株式会社

右代表者

代表取締役 音頭直次

本籍

富山県砺波市鷹栖五〇八番地

住居

大阪府吹田市千里山西五丁目三四番六号

会社役員

音頭直次

大正一二年三月二五日生

右両名に対する法人税法違反被告事件について、昭和五四年八月二七日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人両名から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官北側勝出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人笠松義資、同大槻龍馬共同作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官北側勝作成の答弁書記載のとおりであるから、これらをいずれも引用する。

一、控訴趣意第一(法令の解釈適用の誤り及び事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は青色申告の承認の取消による青色特典の否認分を犯則所得に含めているが、右は法人税法第一五九条一項、一二七条一項の解釈適用を誤り、ひいては犯則所得金額を誤認したものであり、これらが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで調査するに、原判決が争点に対する判断の二で説示するところはまことに適切であり、原判決には法人税法一五九条一項、一二七条一項の解釈適用を誤ったかどはなく、したがって右法令の解釈適用の誤りの存在を前提とする事実誤認の所論も採用できない。論旨はいずれも理由がない。

二、控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

論旨は原判決の量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、本件は、被告人東洋製鉄株式会社の代表者代表取締役の被告人音頭直次が、同会社の業務に関し、合計六、一〇〇万円余の法人税を免れた法人税法違反二件の事案であるが、その動機、逋税の手段方法・金額・程度などに徴すると、犯情軽微とはいいがたいから、所論諸事情を十分に斟酌しても、被告人両名に対する原判決の量刑が不当に重いものとは考えられない。論旨は理由がない。

よって刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中武靖夫 裁判官 吉川寛吾 裁判官 重吉孝一郎)

○昭和五四年(う)第一八〇五号

控訴趣意書

法人税法違反 被告人 東洋製鉄株式会社

同 音頭直次

右被告事件につき、昭和五四年八月二七日大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

昭和五五年一月三一日

弁護人弁護士 笠松義資

同 大槻龍馬

大阪高等裁判所第四刑事部 御中

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反ないしは事実の誤認がある。(刑訴法三八〇条・三八二条)

一、原判決は、罪となるべき事実として

被告人東洋製鉄株式会社は、大阪市東淀川区小松北通一丁目七番地に本店をおき、銑鉄及び一般鋳物製造業を営むもの、被告人音頭直次は、同会社の代表取締役としてその業務全般を統括しているものであるが、被告人音頭直次は同会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、

第一、被告人東洋製鉄株式会社の昭和四六年五月一日から同四七年四月三〇日までの事業年度において、その所得金額が三三、四三九、九一五円で、これに対する法人税額が一一、五一一、二〇〇円であるのにかかわらず、公表経理上売上の一部を翌期に繰延べするほかたな卸の一部を除外するなどの行為により、右所得金額中一六、〇六〇、三〇六円を秘匿したうえ、同四七年六月二七日大阪市淀川区木川東二丁目三番一号所在東淀川税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が一七、三七九、六〇九円で、これに対する法人税額が五、六一九、〇〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により法人税五、八九二、二〇〇円を免れ、

第二、被告人東洋製鉄株式会社の同四八年五月一日から同四九年四月三〇日までの事業年度において、その所得金額が二二一、七六〇、二八二円で、これに対する法人税額が八〇、二八八、五〇〇円であるのにかかわらず、前同様の行為により、右所得金額中一五〇、〇五七、六六四円を秘匿したうえ、同四九年六月二八日、前記東淀川税務署において同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が七一、七〇二、六一八円で、これに対する法人税額が二五、一四六、二〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により法人税五五、一四二、三〇〇円を免れ、

たものである。

との事実を認定している。

二、ところで被告会社は、かねて所轄東淀川税務署長より青色申告の承認を受けていたものであるが、昭和五〇年二月一八日、同税務署長より法人税法一二七条一項三号に該当するものとして、昭和四六年五月一日以降の事業年度の青色申告の承認を取り消されており、そのため次のように青色特典を喪失した。

訴因第一関係

減価償却費 八、九三三、九八四円

価格変動準備金繰入 六九三、〇〇〇円

合計 九、六二六、九八四円

訴因第二関係

減価償却費 二五、〇八〇、七六一円

雑収入 △ 八三七、九六五円

雑損失 △ 四六二、九八六円

価格変動準備金繰入 二、六四〇、〇〇〇円

価格変動準備金戻入 △ 一、九八〇、〇〇〇円

公害防止準備金繰入 三、九六〇、〇〇〇円

合計 二八、三九九、八一〇円

三、而して、本件公訴事実は、右特典喪失によって発生したいわゆる取消益を、刑事罰の対象となる犯則所得に含めるものであるから、原審において弁護人は、その処理の誤っていることを主張したところ、原判決は次のような判示をもって右主張を排斥した。

すなわち

弁護人は、青色申告の承認の取消による青色特典の否認分については、犯則所得に含まれるべきものではない旨るる主張するが、当裁判所の見解も、昭和四九年九月二〇日最高裁第二小法廷判決(集二八-六-二九一、なお昭和四九年一〇月二二日最高裁第三小法廷、昭和五〇年二月二〇日同第一小法廷各判決も同見解)と同様であり、青色申告の承認を受けた法人の代表者がある事業年度において法人税を免れるため逋脱行為をし、その後その事業年度にさかのぼってその承認を取消された場合におけるその事業年度の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法七四条一項二号に規定する法人税額(すなわち、青色特典の否認分も犯則所得に含めて計算した法人税額)から申告にかかる法人税額を差し引いた額であると解するので、弁護人の主張は採用できない。

というのである。

四、しかしながら、右の判断は法人税法一五九条一項・一二七条一項の解釈適用ならびに犯罪成立の時点における罪体の把握を誤り、よって判決に影響を及ぼすべき事実誤認をなしたものである。

以下その理由を述べる。

1 原判決は、判示第一の事実については、昭和四七年六月二七日をもって、判示第二の事実については、昭和四九年六月二八日をもってそれぞれ犯罪が既遂に達したものと認定していながら、右犯罪の中には基幹的逋脱行為による本来の犯則所得のほかに、前記のいわゆる取消益をも犯則所得としてこれを包含させているのである。

2 ところが被告法人は、前記のごとく右いずれの犯時よりも後にあたる昭和五〇年二月一八日に至って所轄東淀川税務署長より、法人税法一二七条一項三号に該当するものとして、昭和四六年五月一日までさかのぼって青色申告の承認を取消されたので、この時点において、はじめてさかのぼって取消益が発生し、右取消益を課税対象とする租税債務をあらたに負担するに至ったのである。

3 いわゆる脱税犯は、租税債権に対する侵害行為であるから、原判示の各犯時においては、いずれもいわゆる取消益は未だ発生せず、右取消益を課税の対象とする租税債権も亦発生していないのであるから、この分の租税債権に対する侵害行為はあり得ないことで、いわゆる脱税犯が成立する余地のないものと解すべきである。

4 まして法人税法一二七条一項は、青色申告承認の取消は、所轄税務署長の裁量処分に属することを明記しているので、青色申告の承認を受けている者が、法人税法一二七条一項各号該当の行為をなしたとしても、或る者は取消処分を受け、或る者は取消されずにすまされるようなことは、当然にあり得ることであるが、このような場合、両者の行為について犯罪の成否が分かれるようなことは到底許されないことである。

ところが原判決の趣旨に従えば、前者についてはいわゆる取消益が犯則所得となるが、後者についてはかりに訴追がなされても基幹的逋脱行為による本来の犯則所得だけが有罪の対象とされるだけで取消を仮定して、いわゆる取消益までも有罪の対象とすることはできないものと思われる。

5 それでは原判決は法人税法一二七条一項に定める青色申告承認の取消処分は、いわゆる取消益を犯則所得と認定するための訴訟条件という考え方であろうか。

思うに右取消処分は同条同項一号ないし三号に該当する事実が発見された場合、当該時点において所轄税務署長がその内容の詳細、取消による影響等を広く勘案して行政上の綜合的配慮のもとに、取消すべきか否かを決定するものであって、その結果発生する取消益を、将来刑事手続における犯則所得として処罰を求める目的でなす処分でないことは明らかであるから訴訟条件ということもできまい。

青色申告の承認がさかのぼって取り消されるということは行政処分としては異例のものであるが、これはいわゆる取消益をさかのぼって犯則所得とするためのものでなく、通常の行政処分のごとく将来に向って取り消すことにすれば過去の事業年度分については青色としての煩瑣な更正手続をとらなければならないことになるから、青色申告の承認を受け特典を与えられていながら脱税を図るような者に対しては、さかのぼって取消すことによって過去の事業年度分についても白色としての簡略な更正手続をとり得ることとし、これに附随してこの間に与えられていた特典をもさかのぼって喪失せしめるという行政上の懲罰的意義をも有するものと解せられる。

従って、この取消の時点において喪失した特典即ち取消益が課税の対象となり租税債権が発生するのであるから、それがさかのぼってなされるとしても、脱税の実行行為時においては右の取消益に対する租税債権は未だ存在せず、将来発生する可能性が存するだけで必然的に発生すべき性質のものでもなく、刑罰が介入できる事柄ではない。

従っていわゆる取消益に関しては、たとえ将来取消されることもあり得ると思いながら基幹的逋脱行為をなしたとしても行為時において法人税法一五九条一項の構成要件を充足するものとはならない。

然るに原判決は、各犯時においていわゆる取消益を犯則所得と認定しているのであるが、これは各犯行時において存在しない取消益を存在したものと擬制しているものであって、このような罪体の存在を擬制することは到底許されるべきものではない。

6 以上の理由により、原判決は、法人税法一五九条一項・一二七条一項の解釈適用ならびに、犯罪成立の時点における罪体の把握を誤り、ひいては本来犯則所得に含まれない青色申告承認取消による取消益を誤って犯則所得と認定したものであって右事実の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第二点 原判決の刑の量定は著しく重く不当である。(刑訴法三八一条)

一、原判決は第一点掲記の罪となるべき事実を認定したうえ、法人税法一五九条一、二項・一六四条一項・刑法四五条前段・四七条本文・一〇条・四八条二項・二五条一項を適用して被告会社を罰金一五〇〇万円に、被告人音頭直次を懲役八月(二年間執行猶予)に処したが、右量刑は重きに失し、特に被告人音頭直次に対し罰金刑を選択しないで懲役刑を選択処断したことは苛酷で著しく不当である。

以下その理由を述べる。

二、理由

1 一般に直税関係の逋脱事件は、国税査察官の探知するものと、国税調査官や所轄税務署の特別調査班等が探知するものとに大別されるが、前者は告発基準に適合する限り刑事処分とともに重加算税の賦課を含む更正処分がなされるのに対し、後者は比較的大規模の逋脱事件であっても殆ど重加算税の賦課を含む更正処分だけですまされるのである。

一般刑法犯が捜査事件送致義務の原則により、司法警察職員が捜査したすべての事件が検察官に送致又は送付され、検察官が広い視野に立って事件処理の権衡を失わないように処理されるのに比べると不公平の感を拭い切れない。(小島建彦判事「直税法違反事件の研究」二三三頁参照)

さらに逋脱事件調査の端緒の多くが、資産の備蓄としての仮名預金等の発見によるものであることに鑑みると、脱税による留保金を濫費して資産の備蓄のないようなものは如何に脱税手段が悪質であり、脱税額が多額であっても逋脱事件調査の対象には浮かび上がって来ないわけであり、たとえ浮かび上がって来てもかかる担税能力のない者に調査の人手をかけるようなことはなされないものと思われる。この点、刑法犯における取込詐欺などの財産犯では弁償能力のないものが主として検挙され刑事訴追を受けるのと比べると、何となく割り切れないものが感じられるのである。

次に、現在の日本国社会において中小企業の占める地位の重要性について再考察の必要があると考える。

質素を重んじ、勤勉実直な経営者の昼夜を忘れた献身的な企業努力と、そこに培われた堅実な経済観念と穏健中正な思想がこれに従事する従業員にも反映し、これらが国家の治安や思想の安定層を形成していることは否めない事実である。

国家の施策として、大企業の保護育成も大切であるが、中小企業を放置しておいてよいわけではない。ところが査察事件といえば中小企業のみが対象であり、大企業の逋脱事件は比較にならぬくらい大規模のものでも刑事手続に至らないのが現状である。(新日鉄の八三億円申告もれ……52・6・3付朝日新聞・三菱商事の利益一一〇億円隠す、52・8・4付読売新聞・二億六、〇〇〇万円を追徴、日商岩井一三九万ドル申告漏れ、54・7・13付読売新聞・住友商事が一六億円脱税、54・7・31付読売新聞・日商に重加算税、疑惑がらみ4億円、54・8・9付朝日新聞・福田前首相が申告漏れ、所得税3年間に四、五〇〇万円、54・9・17付朝日新聞・三越、四億円申告もれ、54・12・4付朝日新聞・タレント巨額脱税、所得隠し、6億5千万円、重加算税追徴、衣装代など水増し、55・1・1付朝日新聞・加藤六月代議士申告漏れ、51年分一、三〇〇万円修正に応じる、55・1・20付日経新聞、写別添)

中小企業は放置されるどころか、不当にきびしい取扱いを受けていることになるのである。

正義と公平の実現によって、この国土に居住するすべての者が、互いに理解し合い愉快に生活できることが国政上最も肝要であると確信する。

懲罰の鞭が正しく公平に加えられることが、国民の国政に対する正しい理解を得るものであり、弁護人らはその実現を期待するものである。

直税の刑事事件の処罰については、多角的な考察のもとに行われなければならない所以は右に述べたとおりである。

2 刑罰分野における税法の位置

税法違反が刑事事件として取上げられる場合、一般刑事事件と異った手続がとられるのが原則となっていることは周知のことである。

即ち間接税の違反事件においては、直告発、不履行告発の別はあるとしても、すべて収税官吏の告発を訴訟条件としており、捜査官憲の恣意によって刑事訴訟をなすことはできないし、直接税の違反事件においては、告発を訴訟条件としてはいないものの、捜査官憲が直接認知立件するようなことは極めて稀有であって、殆どの場合間接税の場合と同様、収税官吏の調査と告発の手続がとられているのである。

ところが間接税の違反事件においては、限られた課税対象物件の取扱いにかかる事犯であるから、大規模の違反行為が必ず調査対象として浮かび上がってくるのに反し、直接税の違反行為においては、あらゆる事業がその対象となっているために、収税官吏の目はこれらのすべてには及び難く、大規模な違反行為が潜在して調査の網からもれるような事例は数え切れないくらい多い。

しかも間接税は、消費者が負担するものを納税義務者が預り、消費者に代ってこれを国庫に納入するという性質のものであるが、直接税は、納税義務者が自己の所有に帰した資産の中からその所得に応じて納入するという性質のものであって、両者の間には納税義務者の不履行に対する非難度に大きな差異が存するのである。

かような観点によるものと思うが、我国においては終戦までは、直接税の違反事件に対しては、すべて罰金刑をもって処断していたのである。(例えば昭和一五年三月二九日法律第二四号所得税法第八八条は「詐偽其ノ他不正ノ行為ニ依リ所得税ヲ逋脱シタル者ハ其ノ逋脱シタル税金ノ三倍ニ相当スル罰金又ハ科料ニ処ス」と定めていた。)

ところが戦後、税法の改正により、租税犯が自然犯視されるようになり、自由刑が創設されるようになって来た。

しかしながら租税犯特に直税事犯は、純然たる行政犯であって自然犯ではなく、また間接事犯のごとく自然犯的色彩すら存しないのである。

もし我国の現状において、直税事犯を自然犯と同様に評価し、自然犯なみの処罰をなさんとするのであれば、それは国民感情に合致したものではない。

しかのみならず、前述のように税法事件を刑事事件として取り上げる方法そのものに根本的に不公平が存するのであって、収税官吏の調査事件処理と司法警察職員の捜査事件処理(いわゆる二課事件においては、検挙に政治性がからむ場合があるがこのような場合は例外である)とは比較にならないほど強く政治的・行政的配慮がなされていることを忘れてはならない。

従来、租税経済事犯の処理量刑については、捜査官・裁判官によって著しい差が見受けられる。

これは、経済社会の実態に関する認識の大小によるものと考えられるのである。

3 刑事政策的見地からみた租税犯の科刑

前述のごとく、直税逋脱の行為が刑事事件としてとりあげられるのは、我国の現状においては殆ど全部が中小企業家と言ってもよいくらいである。

そうしてこれらの人々は、いわゆる丁稚小僧の時代から事業家を夢見て、あらゆる苦難に耐え抜き、漸くその目的を達した人達である。

彼らは自分の経歴の汚れることをおそれ、孜々として努力を重ね、その事業に限りなき愛情をもつとともに、これまで築いて来た豊富な経験によって、経済界思想界の動向を見極め、従業員の身上をよく理解し、そのよき指導者として対処する能力を持ち合わせている。大槻弁護人は、過去一七年間に約七〇名の査察事件の弁護を担当して来たが、ふりかえってみてその感を一層深くするものである。

前科前歴の全くないことを誇りとする彼らは、偶々直税の逋脱行為が発覚して調査を受け、その結果十分な反省改悟のもとにすべての税(重加算税も含む)を完納して将来の正しい納税を誓い、何とか自己の経歴の汚れることのないよう、折角続けてきた人生の清書を汚すことのないよう真剣な気持に追いやられるのである。

そのような者に対して懲役刑を科するということは、結局その余生から生きる喜びを奪ってしまうことになり、そのことはまさに苛酷な刑といわなければならず、刑事政策の上からみても明らかにマイナスの結果を齎らすものと思料する。

4 被告人の経歴と本件犯行の動機

(一) 被告人は、大正一二年三月二五日富山県下において出生し、高等小学校一年修了後、日通に勤め、昭和一八年四月現役兵として富山の陸軍歩兵三五連隊に入営し、間もなく仏印派遣となって大東亜戦争に従軍し、各地で歴戦のうえ、昭和二一年五月復員したものであるが、昭和二四年三月、兄政吉が代表者である(株)音頭商会金沢支店に勤務するようになり、同二九年兄作次が代表者である日本海電化鋳造(株)の取締役工場長となり、兄弟協力して事業に励み、かつ両親に孝養をつくして来たのである。

その後昭和三二年四月、来阪して大阪市東淀川区小松北通二丁目二四番地において、被告会社を設立したが同会社は、昭和四四年一〇月、本店を小松北通一丁目七番地に移転し、大阪工場を廃して京都府下大山崎町に八トンの熔解炉を設置する京都工場を開設し、昭和四八年四月、名古屋工場をも増設した。

(二) 被告人は、被告会社の代表者であるとともに、東洋建設(株)及び東鉄興業(株)の代表者であって、いわゆる叩き上げの事業家として、我が身を忘れ社業一途に全身全霊を打込み、会社の基礎を確立したうえ、社業を通じて社会に貢献することを目的として今日まで無疵の人生を送って来たのである。

ところが、被告会社のように生産を目的とする中小企業では、経営の基盤が弱く、特に鋳造業における原材料の価格の変動は著しく、生産資材の在庫量を多く手持ちしなければ直ちに生産原価・製品価格に影響を及ぼし、恒常的な信用のもとに一流会社と取引を継続することが不可能となるのである。

而して生産資材を豊富に蓄えていわゆる含み資産を作ることは、利益を産まないことに資金を注ぎ込むことになり、その買付け資金は、経済的効用からみると活用されていないことにもなるのである。

このような状況のもとにおいて、被告人はできるだけ多くの原材料を保有し、市場の変動と不況時に対処し、一流会社との継続的取引と信用の保持に努力を傾注して来たのである。

他方、被告人は絶えず生産技術の向上にも意を注ぎ、昭和五一年三月三〇日、京都工場地下鋳込室において鋳造技術上困難な重量三七・五トン(一万貫)という日本一巨大なぼん鐘を鋳込んだが、四月八日、見事なぼん鐘が鋳込室からつり上げられその鋳造が成功して報道陣から喝釆を浴びたのである。

つり上げ費用だけで二二〇万円というこのぼん鐘の製作には、被告人が準備の段階から命を縮める日々を送っていたことが想像されるのである。

本件犯行の動機は、前記のように蓄積した簿外原材料の一部を公表記帳から除外することと、昭和四六年五月一日以降これらを徐々に使用したため、公表原材料使用量に比べて著しく売上高が増加する結果となったので、売上繰延べを行うことによって当該事業年度の法人税の負担を軽減しようとしたものである。

5 本件犯行の態様

被告人は、前記のように原材料の棚卸除外・売上繰延べのほか、架空仕入を行っているが、他方架空売上の計上もあり、事務手続上の都合による点もうかがわれ、他の殆んどの逋脱事犯に見受けられるように、これらの手段によって留保した逋脱所得を架空名義預金によって秘匿したり、棚卸除外による原材料をそのまま他へ売却してその売却代金を被告人個人の用に供するといったような悪質な行為は、本件では一切見受けられず、右の棚卸除外による原材料は、将来いつかは法人の製品と化して法人税課税の対象となるものであり、売上繰延も当然翌期の公表には売上として計上され法人税課税の対象となるものであるから被告人としては、永久にこれらをごまかしてしまうという気持は毛頭なかったのである。

ただ期間計算上、法人税逋脱犯が成立するというに過ぎず、世上見解の相違として修正申告だけで済まされているケースと類似するものである。

このことは、製品のうち不良品等として廃却したものについてその内容を確定したうえこれを損金として計上すべきであるのに忘却されていることによっても首肯できるのである。

従って、本件の態様は、他の査察事件と比較すれば明らかなようにその悪性が稀薄なる点において査察事件としては稀有なもので本来行政処分だけで十分な事案である。

因みに、所轄税務署長の被告会社に対する法人税の加算税の賦課決定通知書の内容は次のとおりである。

〈省略〉

右によれば、過少申告加算税の基礎となる税額は三四、六五二、〇〇〇円に対し、重加算税の基礎となる税額は三五、七七二、〇〇〇円であり、脱漏税額の約二分の一宛であって脱漏税額の大半が重加算税の基礎となっている通例の査察事件に比し著しく異なっているのである。

本件の量刑においては概括的犯意の理論により形式的に脱税額の多寡を中心として考えるべきでなく、質的配慮が是非必要と思料される所以である。

6 被告人の性格と本件犯行後の情状

(一) 被告人は、質素を重じ、勤勉実直、社員一丸となってたゆみなく努力を続け、今日の東洋製鉄(株)を築き上げて来たのである。

原審証人赤井良男の供述によれば、被告人は宗教心が厚く、業界における信用度も高く、仕入先・販売先とも一流企業が対象となっており、これら取引先や取引銀行が変ることなく長年継続しているというのである。

被告人の家族のうち、長女は他家へ嫁ぎ、現在妻と次女ならびに三人の男子がいて、健康で円満な家庭生活が営まれ、長男は大学を卒業して取引先の(株)神戸製鋼所へ就職しているのであって、このことは被告人の取引先における信用度を十分に物語るものである。二男、三男は今春それぞれ大学及び高等学校へ進学することになっている。

(二) ところで被告人は、昭和四九年七月一八日、東淀川税務署法人税第四部門の特別調査を受けるようになり、その後同署の係官によって調査が続けられたので、右調査については全面的に協力し売上繰延等の全貌が明らかとなり、その結果に基づいて近く更正処分がなされると聞いていた矢先、八月三〇日突如、大阪国税局査察部の強制調査を受けたのである。

実直な被告人は、東淀川税務署の係員に対し一切の帳簿書類を二階会議室に集めて示し、仔細に検討して頂き、全貌が明らかになった段階で、同じ税務関係の官署である国税局がこれらの書類をすっかり押収してやり直すことについて憤激を感じたわけであるが、それでも被告人は素直に調査に応じ、不正は不正としてこれを改めることは当然と考えていたのである。

しかしながら被告人としては京都工場開設当時、大阪から約一、一〇〇トンの原材料を運搬しており、昭和四五年四月ころには京都工場には約二、三〇〇トンないし二、四〇〇トンの原材料があったことを確信していたので、昭和四六年四月末の在庫が、湯浅常務の記録にある一、二八五トン九六〇は実際よりも少量であると主張したが、査察官はこれを聞入れず、湯浅常務の主張も無視され、主張裏付の計算根拠となる弁乙第一号ないし第七号については十分な検討をしてもらえなかったのである。

査察調査がどのように進められどのように処理されるかについて全く無知であった被告人は、昭和四九年一二月七日、大阪国税局長宛に簿外在庫のあったことを内容とする歎願書を作成して査察部へ行ったところ、八嶌統括官や西脇主査から叱責され、さらに同月一八日、門田部長に面会を申入れたが、取り次いでもらえなかったのである。従って右歎願書は果して局長に届いているかどうかもわからない。

(三) 被告人は、昭和五〇年一月二七日、局へ呼び出され、西脇主査・米田査察官から修正申告をして納税すれば情状がよくなるといわれたので、そのとおりにすればすべて済ませてもらえると思って、修正申告をするのにどのように書いたらよいのかと尋ねたところ、米田査察官が紙に数行書いて教えかけた時、西脇主査がこれを差し止め、口頭で教えてやるから被告人の方で書きとれといわれ、被告人はそれを聞いて書きとって持帰り、よくその内容もわからないまま、税理士に局で聞きとった数字を並べた修正申告書を作ってもらい、二月一八日、東淀川税務署長に提出したところ、即日青色申告の承認が取消され、三月一〇日、重加算税・過少申告加算税の賦課決定がなされたのである。

被告人は原審公判過程において、検察庁より弁乙第一号ないし第七号等の還付を受けて検討した結果、これによって昭和四六年五月一日現在における簿外原材料在庫を立証できるに至ったが、修正申告をしているため、もはや行政上の救済手続の方法は閉ざされてしまい、修正申告が査察官の指示に基くもので被告人の意思に基くものでないと主張するだけの証拠もなく、米田査察官が紙に数行書いて教えかけたのを、途中で西脇主査が差し止めた理由がその段階になってやっと理解できたのである。

被告人は、その後検察官に告発され、起訴されるに至ったが、査察官のペテンにかかったことだけはあきらめ切れないのである。

なお被告人は、修正申告後国税地方税合わせて

一億六、九二七万四六〇円

という巨額の税金を完納しており、本件犯行後は赤井税理士を中心として厳格な経理上の指導を受けて不正はなく、被告人自身も本件のうち不正については卒直に反省し、今後かようなことを繰返さないよう誓っており再犯のおそれは全くない。

(四) 原判決は原判示第一に相当する事業年度の期首棚卸高は、検察官の主張する五七、八六七、七八五円のほかに、簿外原材料在庫が最低限一三、六六一、九九四円(重量五七四トン一五四キログラム)存する旨の弁護人の主張を認め、逋脱税額を五、〇一七、七〇〇円減額した。

右減額分、及びこれに対する地方税及び加算税は被告会社において本来納付する義務がないのに前記の経過によって修正申告のうえ完納してしまっている。

7 本件の科刑について

(一) 被告会社の青色申告承認の取消益は、判示第一関係で九、六二六、九八四円、判示第二関係で二八、三九九、八一〇円、合計三八、〇二六、七九四円という高額で、この点においても同種事件の中で稀有なものといえる。而して前記新日鉄の昭和五三年三月三一日現在の貸借対照表によれば、

当期利益金 一三、八四七、九七一、六八四円

に対し、青色申告者に対する特典を認められているものには

特別償却引当金 九一、二三二、一九七、一四三円

価格変動準備金 二六、八三七、〇〇〇、〇〇〇円

投資損失準備金 八、〇五二、一八二、一二六円

公害防止準備金 二五、〇七三、六〇四、六三九円

合計 一五一、一九四、九八三、九一〇円

があるが、もし青色申告承認の取消によりこれらが犯則所得として実際所得に組入れられるとすれば逋脱率はいくらになるであろうか。

もし新日鉄に対する青色申告承認を取消したならば、混乱が起こることは右の数字の羅列によって十分理解できるのであるから取消さない旨の裁量処分にはそれなりの理由があるものと考える。

それでは弱小企業はどうなってもよいというのであろうか。

行政分野においては、行政官としての良心に基いて、妥当性を帯びた処理がなされていることは疑わない。しかしその処理を刑罰分野に移行したときそのまま通用するものではなくて、そこにひずみが発生するのは当然である。

行政犯の科刑については審理の対象となっている事案だけに目を奪われず、広く行政処分の実態との関係を考慮し、そのひずみが調整されなくてはならない。そうでなければ、中小企業者だけが脱税犯に対する一罰百戒による見せしめの具に供せられる結果となるのである。

まして本件は前述のように、架空名義預金で所得を秘匿したり、代表者たる被告人個人資産の中に法人所得を混入してうやむやにしてしまうような悪質なものでもない。

その被告人に対して懲役刑を科することは極めて苛酷である。

(二) 新日鉄の八三億円、三菱商事の一一〇億円、ダグラスグラマン事件で暴露された日商岩井の六四億円の申告もれが重加算税と過少申告加算税の徴収だけで済まされている事実を新聞報道で知らされながら、重刑を科される弱小企業の経営者の心境を思うとき、かかる矛盾の中から立直りの意気を燃やさせ他のことに目を向けず自己だけは遵法の精神を堅持して行こうとする心構えを与えることは生きた刑事政策であり、それは被告人の満足する量刑によって目的を達することができるのである。

(三) 弁護人が現在までに法人税法違反・所得税法違反を通じて検察官の懲役刑の求刑意見があったのに判決で罰金刑をもって御処断して頂いたものは次のとおりであって、本件の特質及び、犯行時における貨幣価値を比較考察すると、被告人音頭直次に対して罰金刑を御選択御処断頂いても決して刑の権衡を失するものではないと確信する。

(法人税関係)

〈省略〉

(所得税関係)

〈省略〉

右の罰金額は、懲役刑を選択しないため脱税額に比してかなり高率のものもあるが、これらの人々が、いずれも判決に感激して速やかに罰金を完納し、益々事業に精を出し、その後年々高額の納税をしている姿を見ると過去の各弁論で、罰金刑による御処断をお願いしたことが誤りでなかったことに満足するものである。中小企業を営む大部分の人達は、前科前歴もなく、只管事業の発展と子女の成育、家業の継承を希っているのであって、営々として築いて来た人生の後半に至って懲役刑に処せられることは、かりに執行猶予の恩典を与えられても生涯取りかえしのつかない汚点を残すことになり子孫に対しても申訳なく感ずるのが実態であって被告人音頭直次も亦その例外ではない。

8 以上述べた諸事情を御斟酌の上、何卒被告人音頭直次に対して罰金刑を選択のうえ御処断願いたい。

以上の各理由により原判決を破棄し、さらに相当の御裁判を仰ぎたく本件控訴に及んだ次第である。

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